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赤崎正和

 

立教大学現代心理学部

映像身体学科第2期生

 

(Akazaki Masakazu)

-----映像身体学科に入学した理由はなんですか。

 なんとなくなんですけど、「映像をやりたい」という気持ちがずっとあって。そんなに映画好きでもないけど、なんかおもしろそうだなって。

高校の時は体育祭に力を入れていたんです。最初はあんまりやってなかったんですけど、『ウォーターボーイズ』を見て「やばい、最後の夏休みを無駄にしちゃう」と思ってやったらすごいはまっちゃって(笑)みんなで何かを作るというのがとても楽しかった。

 そうやって行事にのめり込んでいたら見事に受験に失敗して、浪人することになりました。そして、その夏に父が飲酒運転の車の交通事故に巻き込まれて

突然亡くなってしまって、そこから生活がガラッと変わります。あまりに暗い現実でした。そのときテレビでたまたま見たのが『茶の味』ってシュールな映画でした。

しょうもないことで笑えたことが嬉しくて。ちょっと救われたんです。

 大学は映像系に行きたいなと思うようになりました。人が元気になるような映像を作ってみたかった。

でも普通の大学で映像も学べるところってあんまりなくて。第一志望っていうか自分の中ではもう映身しかなかったですね。

 

-----どうしてドキュメンタリーを撮ろうと思ったのですか。

 元々「茶の味」を観て入ろうと決めたのもあって、劇映画がやりたかったんです。2年生からワークショップがとれるんですけど、希望届を書いたらたまたま

ドキュメンタリーの授業が通って、勉強だと思って受けたんですね。そこで映画監督の池谷薫先生と出会いました。ある時の飲み会で池谷先生に

「先生、実は僕ドラマがやりたいんですよ」って言ったら「赤崎おまえ、本当のドラマを知らないと、ドラマは作れないぞ」って言われて。その言葉にとても重み

があったんです。本当にそうだなって。

-----「ちづる」誕生のきっかけは何ですか。

山形国際ドキュメンタリー映画祭という世界中のドキュメンタリーを集める映画祭があって、そういうところに池谷先生や友人と行っているうちにドキュメンタリーの面白さにどんどん気づいていきました。でも自分が作るとなった時に肝心の内容が全く決まらなかった。そんなときに福祉関係の勉強会に呼ばれて「障害があってもなくても、どうやったら一緒に社会の中で暮らせるのか」というテーマで発表をしたんです。そこでずっと隠してきた障害のある妹について生まれて初めて人前で話しました。「小さい頃から日常的に接していることが大事だ」って話をしたんですけど、会場の人からそんなのは綺麗事だって言われたり、うまくいかなかったことを訥々と話されたりして、しんどさの限界が突破しちゃって涙が止まらなくて。障害って何なんだろうなって。

 そして最初は映像楽しそうだって思ってやっていたのに、その時はなにがやりたいんだかよくわかんなくなっていて。そんなうちに卒業制作の内容を決める日になって。本当になんにも決まってなかったんですね。先生に呼び出されて「どうするんだ」って言われ、そこで幼い頃から世間の障害への差別を感じながら生きてきたこととか父の交通事故のこととか、自分の生い立ちや思っていたことを全部話したんですね。先生は最後まで聞いてくれて「妹撮ればいいじゃん」と言ったんです。でも僕は今まで隠してきていたから、その場では絶対嫌ですとだけ言って帰ってしまいました。だけど何日か経って、先生の言っていることは核心をついてるなって思いました。自分が映像で表現したいって気持ちの根本には、自分にとって当たり前の家族や妹のことを言えなかったってことがすごく関係しているのかなって。言葉で言えないから映像で、いろんな形で伝えたいのかなって思って。

 実家に帰る機会があって、母親に「卒制で妹撮る」って言ったら、母には母なりの思惑があったと思うんですけど、不気味なくらいあっさりOKもらったんですね(笑)。

こうなるとなんか自分を変えられるチャンスになるかもと思ったんですよね。言葉で伝えるのは難しいですけど、映像にしちゃえば百聞は一見に如かずというか、「ウチはこんなだよ」って見せられるかなって。それで先生に「妹を撮ります」と伝えました。

 

 

 

-----制作時の印象的な出来事はありますか。

あるとき池谷先生と大喧嘩したことがありました。母親と僕が就職のことについて言い合うシーンがあるんですけど、これを入れると母親と僕の映画

になっちゃうと思って削ったんですね。そしたら先生は「なんで消したんだ。家族3人の話だろう」と。先生の言うことは正しいとは思うんですけど、

僕ははじめから妹1人だけを登場させて妹の障害について伝えようと思っていて、自分のやりたいことをどうしても変えたくなくて。

これ映画もう無理だなっていう空気になったときに先生が、

 「なんでそんなに障害にこだわるの?俺には普通の家族3人にしか見えないのに、差別してるのはお前なんじゃないのか」って言われ、ハッとしました。

そんなことを言われたのはじめてだったんです。でも言われてみると思い出す節はたくさんあって、あんなに憎んでいた差別の念を自分も持っていたの

かと思うと先生の前でも涙が止まりませんでした。そこから「妹の障害を伝えよう」と思っていたのを「妹のキャラクターを伝えよう」っていう風に構成を

変えていって、それ以降はスムーズに進んでいきましたね。

 

-----映画を作るときになにが欠かせないものはありますか。

やっぱり伝えたいことが大事だと思います。

多分みんな、その人にしかない経験とか考えを持っていると思うんです。普段見ている世界では見えないだけで、深く掘り下げていけば必ずあるはず。

元からはっきりやりたいことがある人は別だけど、僕みたいにそれがない人は無理矢理ほじくり出さなきゃいけない。でも、そのためにはじっとしていても

何も浮かんでこないから、人と会うとか映画を観るとか旅行するとかなんでもいいんですけど自分から色んな刺激を受けに行って、そうしていく中で探して

いくしかないんじゃないのかなあと個人的には思いますね。

 

-----今は福祉関係のお仕事に就かれていますが、今後映画制作の予定はいかがですか。

はい。作りたいなと思っています。実は池谷先生からも「俺がこれだけ教えたんだから作れよ!」って言われています(笑)

 『ちづる』を作っているときは、これが最初で最後だからやりきろうって思ってやりきったんですけど、思わぬ形で色んな人に観てもらって、なんかちょっと

このまま終わりたくないなって。こんなに話題にならなくてもいいから、誰かと一緒に意見ガンガン交わしてものをつくるっていう経験をもう一回やりたいな

っていうのはあるので、もう一度やれたらなと、そう思っています。

 

 

『ちづる』 赤崎正和 

立教大学映像身体学科の卒業制作として撮影されたドキュメンタリー。

自閉症と知的障害を持った赤崎の妹・千鶴とその母を一年に渡って

撮り続けた、家族の優しい物語。

公式ホームページ: http://chizuru-movie.com/

紀伊國屋書店よりDVD発売中。

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